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9月28日


兄の日記を見ていたら、牡蠣醤油なるもので卵かけご飯をするととてもおいしいとのこと。広
島では結構ポピュラーなものらしく、兄は広島に行くとかならず買って帰って来るそうな。

というわけで、広島が実家の後輩が夏休みに一回帰省するらしいので、買ってきてもらうこと
にした。そして、やっと昨日その牡蠣醤油を手にいれた。これはいくらぐらいかと聞くと、5
00円ぐらいだというので、お金を手渡そうとすると、「いらない。取っときな」とまるで時
間軸を無視するかのような発言。いや、実際彼は浪人生なので歳は一緒であるからいいとして
、早速家に帰って試してみることにした。

家に帰るなり冷蔵庫から冷ご飯を出して電子レンジのスイッチをおす。そして出来上がったご
飯に、卵と牡蠣醤油を混ぜたものを入れて食べた。とても美味しい。まるで卵ご飯ではないみ
たいだ。例えるならば、魚の味がする。卵かけご飯の様相をした鮭フレークのようである。好
きな食べ物がうどんとフライドポテトであることからわかると思うが、舌はまだ幼稚園児に近
いものがあるので(幼稚園児に失礼かもしれない)、上手く言葉には出来ないのであるが、と
ても美味しいのだ。実際、もらった翌日である今日の5時現在までにもうすでに4回食べてい
る。勿論、高血圧とコレステロールには気をつけなくてはならないので、ヘルシア緑茶と一緒
にである。

皆様もぜひお試し下さい。イズミヤに売ってるはずです。



9月27日


さてさて、僕だって日本国憲法で守られているわけですから、最低限の生活は保障されているわ
けで電気とガスと水を最大限に駆使して毎日毎日生活しているわけなんですが、やっぱりガスに
したって誰かのお尻から悶々と次々と永遠に出てくることなんてあるわけなく、きちっとした国
からきちっとお金を出して天然ガスを買ってそれを民の為に放出しているわけですからお金を払
わなくちゃならないわけですし、電気にしたって電気属性の人がいてその人が民の為にお米のエ
ネルギーをビリビリと電気の力に変えて送っているわけではなく、水の精霊の力を借りたり、原
子の中の陽子と電子の間の強い愛を引き裂いて強い負のエネルギーを皆で制御して電気に変えて
るわけでありますので、これもきちっとお金をはらわなくちゃいけないわけでありまして、まあ
まあ僕も夜の街では鬼の手の持ち主として恐れられているのですが(そこのあなた、頭が高いで
すよ)僕も心までは鬼ではないのできちっと払ってやろうと思ったわけなのですが、どうも検針
票は二つポストに入っているのですが、どうも払い込み表が電気会社の方が入っていなかった為
、電気会社に電話してみたら全然かからなかったのですよ。何回も何回も電話したのですが、か
かりませんでした。こんなに電話をかけてもかけてもかからなかったのは、小学生のころ母に頼
まれて槙原のコンサートのために公衆電話を使って電話したとき以来です。あのときはかかった
けど、僕が電話嫌いなためすぐ切っちゃったっけ。それから三時間後に電話してみたらかかった
ので、もう一度払い込み用紙を送ってくださいって言ってやりましたよ。そしたら今日ポストを
見てみたら、新しそうな払い込み用紙と、くしゃくしゃになった古い払い込み用紙が。



9月26日


今、脇毛を抜いている。

斬新な滑り出しで申し訳ない。しかしこれは脇毛を抜きながら日記を更新している俺って面白い
みたいなネタ作り的動機ではなく、脇毛抜きは僕の趣味であり、ルーチンワークである。ではな
ぜ、僕は脇毛を抜き続けるのか。何が僕に一日に四国の面積にも匹敵するほどの脇毛を抜かせ続
けるのか。それは脂漏性皮膚炎と呼ばれる病気にあった。

脂漏性皮膚炎とは、ストレスが原因で毛にカビのように脂が付着して生えてくる病気である。こ
れは我が家の遺伝であり、また我が家ではこれが脇に発病するとお母さんが赤飯を炊いてくれ、
一人前と称されることとなっている。これが脇に生えると、脇毛を抜くときにマスターベーショ
ンにも似た快感を得られるのだ。ひとつだけ言わせて欲しい、僕は変態ではない。

しかしある日僕は自分の家系に絶望し、またその時に丁度彼女が出来たこともあって、僕はこの
脇毛を医者に治してもらうことにした。だって、脇が白い彼氏なんていやじゃないですか。脇が
白い恋人。これじゃどこの都道府県もお土産として認定してくれないよ。というわけで皮膚科に
行くと、脇毛を全部剃って、これを塗りなさいとチューブ状の薬剤を渡された。僕は、丁度プー
ルの授業の季節であったことも心の中でねじ伏せて、脇毛を全部剃り、その薬を塗り続けた。

本当に、生えて来なくなった。

僕は強烈な葛藤に見舞われた。生えてこなくなって、僕は普通の人間に一歩近づいたわけだ。し
かし、僕は携帯電話でもわざと変な色を選んで他の人とかぶらないようにするほど自分の個性を
大事にする人間である。しかし、これはれっきとした一つの病気であるし、もうあの家には帰り
たくない。しかし、また生えてくればあの快感を得られることになる。それが頭によぎった瞬間、
僕はもうその夏のチューブの薬剤をゴミ箱に投げ捨てたのだった。

大学生になった今、高校生の時ほどではないが脇毛を抜き続けている。一日にすると、ちょうど
北海道と同じぐらいの面積である。



9月25日


昨日の日記で、遂にうどニストが香川に行ったことを書くと思っただろう?そうだろう?しかし
、昨日はどうしても書くことがなかったのでやむなく書いてしまっただけで、まだまだ本編には
入らない。そんなに面白い旅行記なわけがないとお思いの方がもしかしたらいらっしゃるかも知
れないが、どうか僕を見くびらないで欲しい。なんたって僕はマサコとテツオから生まれたサラ
ブレットである。

今はまだ無名の日記作者かも知れないが、おそらくは1000年後、この旅行記は日本のみなら
ずアメリカ、EUの国語の教科書の大御所として掲載され、地球の学生諸君は皆「僕は人に好き
な食べ物を聞かれると、…」の冒頭を記憶させられ、国公立や私大の試験でここで筆者はどう思
っているでしょうという問いに悩まされるのだ。

…というようなことは全然思っていない。このサイトの文章は、1+2−3という計算式に似て
いる。



9月24日


<序章>

僕は人に好きな食べ物を聞かれると、フライドポテトと言う事にしているが、これはそう言った方
が受けがいいからである。そう、僕が本当に好きな食べ物は、うどんである。

中国から伝わり、室町時代に今の形状に定まったうどん。コシと味を表現することができるひとき
わ太めの麺。それは食べ物というよりも、小麦という真っ白なキャンパスに塩という絵の具を加え
る芸術(アート)に近い。小学校の頃、昼ごはんが給食になった為、母親の作る料理を食べる機会
は極端に少なくなった。土曜日に急いで帰ってきて、吉本新喜劇を見ながらうどんを食べると、僕
のほっぺたはずっこけた。平日の食べられるものが少ない給食は、僕の土曜日のうどんへの欲望を
駆り立てた。そのころからだったであろうか、僕が「うどニスト」を語り始めたのは。

友達をして、「今日はうどん以外のものにしよ?」を口癖にせしめるまでに成長した僕は、いつし
か讃岐に思いをはせるようになった。ある日、あろうことか母がうどんスタイリストである僕を差
し置いて讃岐に行き、お土産にそれを買って帰ってきた。しかし、その生粋の讃岐生まれのアート
は、僕の舌の上でルネッサンスを起こした。もう、うどんというよりも、チーズである。うどんと
いうより、チーズである。僕はチーズが嫌いである。しかし、箸を持つ右手はその革命軍を城に入
れることを止めなかった。僕の左手はその裏切り者の右手を必死で止めようとしたが、右手は左手
に容赦ない攻撃を加え、左手はあえなく撃沈した。右手が左手に勝つのは火を見るより明らかであ
った(僕が右利きだから)。

こうして、うどんに制圧させられた僕は讃岐に復讐を決心し、それから5年後ようやくその思いは
かなったのであった。



9月22日


さぁ、香川の話は引き伸ばすぞ。

*

最近、ゲームとはほぼ無縁であり、特にRPGなどは今何がはやっているのかも知らないような
状態なのであるが、昔は生活の大部分をRPGに注いでいた。日記でドラクエのことを書いてい
たと思うが、実は僕はどちらかというとファイナルファンタジーの方が好きで、4から10まで
はすでに越している。

ファイナルファンタジーでは6か7か10が人気が高いが、僕は結構5が好きである。こんなこ
と言って、このサイトを見てくれている人がだんだん離れていくのが悲しいのであるが、今日は
ネタがないのでこれについて書こうではないか。

5と言えば、ファイナルファンタジーの世界広しと言えども稀な転職をシステムに加えたファン
タジーである。転職を軸にしているため、戦えるキャラクターを選べないのがたまに傷であるが
、ストーリーはなかなか面白い。ただ、そのストーリーは全然覚えていない。面白いことだけ覚
えている。あと、兄が主人公をラスボスと同じ名前にしたためストーリーが全然わからないと言
っていたのを覚えている。このゲームでは、武器を装備していない部分は「すっぴん」と呼ばれ
る。なので僕は、女のキャラクターの頭の部分をすっぴんにして、彼女が戦闘不能になったら、
「あ、ちゃんと化粧落として寝てる」とか思って一人でクスクス笑っていた。今考えると、自分
にぞっとする。

終盤になってきてわかるのだが、男だと思っていたキャラクターが実は女であるというどんでん
返しがあった。すっぴんだったら、気づいてよ。



9月21日


さて、またまた更新が空きました。これは香川に旅行に行ってたからで、今日はとても疲れてい
るのでそのことについては触れない。とにかく今日はバイトでついてないことがいっぱいあって
多少へこんでいるのだ。とにかくそのことを過剰なくらい箇条書きにして寝ようと思う。

・僕だけ二階を見ていて忙しかった。

・手際よくやってるつもりがママに怒られた。

・シャンパングラスを二個割った。

・電話のとりつぎを失敗した。

・靴下に穴が開いた。

・舞妓さんに焼酎を一気飲みさせられてずっとしんどかった。

・オカマにズキューンってされた。

・帰るときに、イヤホンをしてメットをかぶって帰ろうとしたときに酔っ払いに話しかけられた
のだが、聞こえなくてメットとイヤホンをはずして「えっ?なんですか」と言うと、「おめこし
ろよ!」って言われた。



9月17日


昨日、芸能人がうちの店に来てくれたことを書いたが、そういえばこんなこともあった。お客さん
が個室に入ったときは僕は大体その個室担当なのであるが、その日僕がお使いから帰って来ると、
個室にお客さんが入ったからセッティングお願いと言われた。

お客様を待たせてしまっているのでとりあえずセッティングのうちおしぼりだけでも持って行こう
とその部屋に行ってみると、そこにはジョッキーの武さんがいた。兄の方である。二人で来ていて
、もう一人は全然知らない人であったが、さすがにその時はテンションが高くなってしまった。

しかし、僕がお客さんに話しかけられる可能性はそんなに高くないので、話しかけられることはな
いだろうと思っていたのだが、氷とおつまみと台付きを持っていったとき、お連れさんの方が僕の
方を見て、

「君、かわいいね」

と言われた。すると武さんが

「付きあおか」

あの時、「じゃあ、僕が武さんに乗ります」と返す勇気があれば、どれだけ大成しているかと思う
と悔やまれて仕方がない。



9月16日


今日はもしかして日記に書くことがないのではないかと思っていた矢先、バイト中のこと。

ジェットスキーに誘って下さった超偉いさんが久しぶりに来てくれた。今日は三人で来て下さって
いて、一人の人はその偉いさんの弟さんで、もう一人の人は革ジャンを着てサングラスをした、4
0歳前後であるが結構ほりが深くて男前の方だった。どうも今日はその方の接待でいらっしゃって
いるらしい。

僕がセッティング(つまり、おしぼり、氷、おつまみ、台付きおしぼり)を持っていったとき、ま
だ女の人がついていなかった。ということは、僕がおしぼりを渡さなければならない。一番役職が
上の人からおしぼりを手渡さないといけないので非常に難しいのだ。僕は、とりあえずということ
で、お偉いさんから渡そうとしたら、その方は革ジャンの人を指して、「あの方から」と言ってく
れた。なるほどと思って革ジャンの人→お偉いさん→その弟さんの順番でおしぼりを手渡した。セ
ッティングしている間、話を盗み聞きではないが聞いていたら、その革ジャンの人が仕事柄いろい
ろな場所に行くが、名古屋のクラブはどうとか言っていた。あれ?もしかして。ちょっと待って。
そこでピンときた。

そう、その人は○崎麻世だったのだ。

麻世が来ているからというので、可愛い女の人をいっぱいつける店長。しかも、ママは麻世さんに
色紙を書いてもらおうとして、僕に色紙をコンビニでありったけかわさせ、そこにいる女の人全員
にメッセージを書いてもらっていた。すごくミーハーな店である。

ママに対しての色紙には、「○○(ママの名前)もがんばれよ、俺もがんばる」と書かれていた。
いろんな時事問題(離婚騒動とか)も絡んで、すごく心に響いた。



9月15日


今日も祇園でバイトである。

今日は早いうちから5名のパーティーのお客様が入っていて、僕は一人でその団体を見ている。
ママが蝋燭を立てたケーキやドンペリやクラッカーを用意して凄く盛り上がっているのであるが
、お客様の一人が凄くでかい蝋燭を持ってきていた。赤い、凄く凄くでかい、赤い蝋燭をである。

するとその席でゲームが始まった。ちょうどその時僕もテーブルで氷を交換していたのだが、僕
も入れと言われ参加した。結果僕は勝ちでも負けでもなかったのだが、罰ゲームとして一番勝っ
た人が一番負けた人に蝋燭を垂らしていた。

「熱っ!!」

ここでやって楽しいのか。

*

その席から、一人の一番年上のホステスが怒りながら出てきた。そして、その人が僕にママを呼
ぶように言われた。他の30代のホステスも集まってきて、何やら喧嘩になりそうである。

話を聞いていると、どうやらその怒っている女性がゲームで負けて、首と両手をベルトで縛られ
て、お皿にお酒を盛られて飲まされたらしい。その席にママもいたのにお客様を止めなかったこ
とに対しかなり憤慨しているようだ。

難しい問題は、その女性が杉本あやに凄く似ている、ということである。



9月14日


今、僕は最高にハッピーな気分である。僕自身に大きな変化があったのだ。しかし、このことは
回りに回って世界中の皆が幸せになるようなことかもしれない。そういわせてしまうほどに、僕
の中では大きな出来事である。

ポテトサラダが食べれるようになったのだ。

僕はひどい偏食で、小学校のころは本当に野菜(キノコ類、海草含む)を食べられなかった。野
菜に限らず、たんぱく質でも特殊なものは食べられなかった。小学校の時に、給食では白いご飯
しか食べられなかったこともあった。その時の献立は確か、大食管(漢字合ってるかわからない
)がオニオンスープで、小食管は切干大根、フライバットは魚の酢漬けで、炭水化物がご飯だっ
た。僕がご飯しか食べないので、どこかの高僧ではないかと噂されることもあった。その切干大
根は僕の中では、恐怖のローテーションメニューであった。切干大根がメニューに入ってるとき
は、僕は白いご飯かパンしか食べられないときが多かったからである。

幼稚園も終わりに近づいた時、小学校になったら給食だからと、一回だけ給食が出たときがあっ
た。その時のメニューがまた、魔の切干大根セットであった。しかもその時の炭水化物がまたこ
れ赤飯である。食べられない。皆がお祝いの代名詞である赤飯を喜んで食べている中、僕だけは
赤飯よりも顔を真っ赤にして泣くのを我慢していた。その時は、その四品に加えて、フルーツと
してプルーンもでた。食べられない。僕は牛乳をまるでウイスキーのオンザロックのようにチビ
チビと飲んで、皆が食べ終わるのを待っていた。

ポテトサラダも切干大根と同じく大嫌いなものだった。その時の僕の担任はネギ先生(本名)で
僕の良き理解者であったのだが、ポテトサラダの出たある日、ネギ先生が出張でいなくて、代わ
りに養護学級の先生がやってきた。その先生は偏食で有名な僕に目を付け、わざわざ僕の机に椅
子を横付けして監視し始めた。その日はポテトサラダ以外は食べれる日だったのだが、その先生
は僕にポテトサラダまで全部食べるように要求してきた。僕は凄く腹が立って、こいつに仕返し
をしてやるという必然と、ポテトサラダを食べたらこみ上げた偶然で、そいつの服に量にしてそ
のポテトサラダの五倍はあろう嘔吐をぶっかけてやった。先生は凄く腹がたったような顔をして
いた。よかったな、俺が鬼太郎じゃなくて。もしそうだったら、お前は今頃跡形もなく消え去っ
ていただろうよ。

本当に僕は小学校の頃自殺を考えていた。夏休みまで我慢したら、もっと生きられる。夏休みが
終わりそうだから死のうと思うのだが、やはり死ねない。もう少し生きてみよう。それの繰り返
しだったあの頃。もしタイムマシーンがあったら、あの頃の僕に言ってあげたい。大丈夫、高校
生大学生になったらきっと楽しく生活できる、ポテトサラダも食べれるようになってるよ。









9月12日


こんなことを言うと、名古屋の人に怒られるかもしれないが、名古屋に行って思ったことは結構
適当だなってことだ。

勿論、僕が行った時にいた周りの人だけかもしれない。名古屋の大学に進学している友達の家に
泊まった翌日、近くの定食屋に行った。僕らは折角名古屋に来たのだから、味噌カツを食べたい
と、その定食を頼んだ。量が多くて、とても美味しかったのだが、皆ご飯が入っている御椀がば
らばらだった。しかしこれだけでは恐らく僕の記憶に名古屋に適当のイメージは残らなかったと
思う。

また別のお客さんが入ってきて、味噌カツ定食を頼んだ。店員さんは、それを伝票に書いた。そ
のお客さんは常連らしく、店員さんとお客さんはしばらく話をしていた。すごく人懐っこいなと
いうのも名古屋に行った感想の一つである。その時また、別のお客さんが入ってきて、店員さん
はそのお客さんのメニューを聞きに行った。そのお客さんも味噌カツを頼んだ。味噌カツ大人気
。店員さんは、そのお客さんの伝票を厨房に回したが、さっきのお客さんの伝票をなくしてしま
ったらしく、困った顔をして、そのお客さんにもう一回聞いた。

「メニューなんだったっけ?」

「豚カツやで!」

*

いや、きっとこれだけだったらまだ適当のイメージはつかなかったんだ。その日の晩はきしめん
を食べようということになって、名古屋駅の食べ物街みたいなところに行った。お店に入ったが、
いらっしゃいませが聞こえてこなかった。あ、セルフっぽいお店なんだなと思って、適当に席を
見つけて座ろうとすると、口をモグモグしながら店員さんがどこからか出てきて、僕らが座ろう
としている席を見つけて「こちらへどうぞ!」言われんでも座るわと思いながら、その席に着く
と、店員さんはお水だけ持ってきて、お決まりになりましたらお呼び下さいといって、カウンタ
ー席に座った。なんとその店員さんはお店のカウンター席でまかないを食べていたのだ。




注文が決まったので、その僕らのまん前で食べている店員さんを呼んで、オーダーした。こんな
店のきしめんはどんな味なんだろうと思いながら、待って食してみるとこれがまた美味い。不味
かったら、あの店は本当ダメだというレッテルを貼ることが出来るのだが、悔しいかな美味いの
である。美味い美味いと思いながら食べていると、前の店員さんは食べ終わったらしく、仕事に
戻っていた。ほっとしたのもつかの間、また別の店員さんが来て、同じカウンター席でまかない
を食べ始めた。




*

帰るとき、目の錯覚で「名古屋」が「古着屋」に見えたよ。



9月11日


祇園の高級クラブで働いていて、女の人は大体お高いし、入ってもすぐ辞めてしまう人ばっかりだ
からあまり喋れる人はいないのだが、こんな僕でも二人ぐらいは喋れる人はいる。

そのうちの一人が三ヶ月ぐらい前から急に太りだした。すごい細身の人だったのだが、10キロぐ
らい太って普通の人になってしまった。普通の人になってしまったから別にいいんではないかと思
っていたのであるが、その人はすごく気にしていて、扱いが大変だった。そうなってしまってから
彼女はダイエットのことを考えてお客さんのお酒をあまり飲まなくなり、グレープフルーツジュー
スばかり口にして、ママからは裏でグチグチと言われていた。

二ヶ月ぐらい前からは、お店もほとんど休むようになった。たまに顔を合わせた時に「久しぶり、
あれちょっと痩せた?」と言うと、全然痩せてないと言われ凄く怒られた。なぜこの頃休んでばっ
かりなのかと聞くと、体調が凄く悪いらしく、吐いてばっかりなのだそうだ。甘いものなど見ただ
けでえづくらしい。しかも聞いてもいないのに自分から「生理がここ二カ月ぐらいきていない」と
言っていた。一ヶ月前からはとうとうお店に顔を出さなくなり、僕はそのお店で話せる人がまた一
人いなくなったと少し悲しくなった。

ところが最近、またその人が戻ってきた。しかも体調はずいぶんよさそうである。かなり痩せてい
るように見えるのだが、もしここで言って痩せていなかったら、本当に嫌われそうだったのでやめ
たのだが、向こうから「私6キロぐらい痩せてん」と言ってきたので、ああ僕の目も捨てたもので
はないなと少し安心した。しかも席に着いたら自分からお酒を進んで飲んでいる。体の調子がいい
みたいですねと言うと、彼女はこう答えた。「うん、妊娠しとってん」

祇園、怖いですね。



9月10日


さて皆様、明日は投票日です。皆様はもう誰に、どこに投票するかお決めになられたでしょうか?
実は僕は、大阪に帰るのが面倒くさいので、もう市役所に行って投票してきました。ここで、公表
してもいいものかわかりませんが、とりあえず僕の悩みに悩んだ結果を書こうと思います。

僕の実家の選挙区には、自由民主党、民主党、共産党の三人の人が立候補していた。とりあえず、
この三人について説明していこうと思う。

<自由民主党の人>
この地区では結構古株で、選挙に興味がないときから結構名前は聞いたことがあるほどのおっさん。
ぱっと見では、賄賂顔で、絶対タバコを吸っていてしかもそれはピースであるようなおっさん(自
由なだけに)なのであるが、ホームページを見てみると、郵政民営化のメリットについて熱く語っ
ているおっさん。それに対して、外政問題や年金問題にたいしては、僕の一日の日記ぐらいの分し
か書かれていなかったのが気になるが、名前が簡単なので、書きやすそうで◎。自分の一票が死票
になることだけは避けたい。

<民主党の人>
元テレビ局のディレクターで、元東京の区議であった女性。ホームページを見てみると、今は郵政
民営化が争点になっているけど、今はそれより大事なことがあるでしょ、年金問題とかさ、って感
じで書かれていた。そこには多少共感が持てるのであるが、選挙ポスターに子供と一緒に映ってい
るのを見て、愕然とした。あんた年金問題について書いてるのに、なんで子供と映ってんの。しか
も、母親に聞いてみると、ママチャリで選挙活動を行っているらしい。関係ない。選挙と関係ない。
っていうか、うちの選挙区結構でかいですよ。第二のオオニタを作らないためにも、この人はやめ
た方がいいのではないのであろうか。ただ、選挙事務所がvodafoneショップの横なのが○。vodafo
neにはこれからもがんばって頂きたい。

<共産党の人>
ホームページなし。HTMLも読めない人は問題外。

二人のどちらにどうしようか、比例はどうしようかまだ前日まで悩んでいた。そんな時、地球博に行っ
た後に名古屋駅で偶然にも小泉首相と出くわした。名古屋駅から出てきたとき、首相はにこっとし
ながらこちらに手を振った。あのすべてを見透かしたような笑顔を見てしまったら、もう結果は見
えていますよね。

前もこんな落ちだったような気がする。



9月9日


地球博に行く為、京都から一度大阪に帰って来る前の日、幼馴染のお婆さんが亡くなったと聞き、
通夜にもお葬式にも出席できない僕は、一度お婆さんに顔を見せに行くことになった。

朝4時ごろに大阪に着き、いつもより少なめの睡眠をとってシャワーを浴び、スーツを着る前にト
イレに入っていたら、外から情熱大陸の主題歌が聞こえてきた。それは、歌声ではなく、どちらかと
いえば口笛に近いのであるが、明らかにおかしい。僕の実家は二階にリビングがあるので二階にも
トイレがあってそこで用を足していたわけだ。つまり、外から二階のトイレまで大音量で聞こえて
きたわけである。しかしその時はあまり気にもせず、祇園で着慣れたスーツで隣の幼馴染の家に行
った。

お婆さんに手を合わせ、顔を見ていると幼馴染のG君の三兄弟がやってきた。彼らはあまりお婆さ
んが亡くなっても気にもとめていない感じであった。ついに彼らはお婆さんに対しての笑い話をし
始めた。入院し始めたときからかなりボケだしていて、「もし死んでもドラゴンボールがあるから
ヤムチャが助けてくれる」とか言っていたそうだ。G君たちは、ドラゴンボールはもとよりヤムチ
ャを知っていたことにかなり驚いていた。また兄弟の真ん中は、死に際に「お婆ちゃんそんな我が
ままばっかり言うんやったら俺かえるで?」と、文字通り喧嘩別れをしてしまったそうだが、別に
悔いている様子もなかった。

すると、下の弟が「お葬式もあることやし風呂ってくるわ」と言って出て行った。その時、兄弟二
人が「あいつ口笛めっちゃうまなってるねん。」と言った。もしやと思って僕が「もしかして情熱
大陸とか吹く?」と聞くと、「え?なんで知ってるん?」と。やはりか。確か、丁度半年前にこの
家を訪れたときは、その弟は僕のためにオカリナを吹いてくれた。前兆はあったのだ。今では彼は
口笛の方にはまり、全国口笛大会の招待状も家に届いたらしい。じゃあ折角来たのだから、お風呂
から出てきたらその口笛を吹いてもらうことにした。

お風呂から出てきたので、早速口笛を吹いてくれと頼むと、「ちょっと待ってな、朝やからあんま
り声でえへんかもしらんけど」と言って何度も大きく深呼吸をした。「じゃ、行くで。」あたりは、
一瞬静寂に包まれた。右耳に手を当て、阿吽像にも似た形相を見せる弟。次の一瞬には、音量とし
ては口笛とはとても思えない、しかし音色は明らかに口笛、そんな音の波動が家を包んだ。濁り音
とビブラートを巧みに口笛に織り交ぜる弟。あたかもピアノを弾く小室哲也のように体を振り、心
なしか後ろにはうっすらとハカセタロウの姿が。

終わった後、彼は「今日はちょっと高音がでえへんかったわ」と言った。きっと、天国にいるお婆
ちゃんが耳をふさいでいるんだと思う。



9月8日


愛地球博に行った日、名古屋の大学に進学している友達の家に泊まった。

一浪して大学に入ったので、彼はまだ名古屋一年目なのだが、この半年ですごく疲れた顔になって
しまっていたのが印象的であった。話を聞くと、どうも名古屋の友達と笑いが合わないらしい。僕
らバレー部は誰かが面白いことを言うと、他のものが全員その面白いことを言った人に対して嫉妬
して、次に面白いことを言うのは自分だと闘争心を燃やすような者の集まりであった為、その一員
である彼にとって文化が違うところに行って自分の力が発揮できないのが苦痛で仕方がないという。

例えば、いや例えばの話である。ネット上でこの面白さが伝わることもないと思う。ましてや僕ら
以外にこれが伝わるとは到底思わないが、一時僕らの間で流行った別の友達が言い出した暑い時に
言う「あっつーん。」は、名古屋では無視されるらしい。あっつーんって言っても、誰も反応しな
い。今日あっつーんって言っても。とても悲しい話である。また、その別の友達が今日、「すっご
く暑い」って言ってたよというと、友達はすごく笑ったが、きっとそれも名古屋では無視されると
のこと。

そんな友達が、久しぶりに笑ったというビデオを見せてくれた。ストリートファイターの映画であ
る。その映画の中では、リュウは日本人というより日本以外のアジア人であり、ケンはもう完璧な
アメリカ人であり(二人は詐欺師だった)、エドモンド本田はでぶだが日本人ではなくどちらかと
いうと曙で、チュンリーは不細工で、ブランカは人造人間で、ガイルが普通の軍人で主人公で、ダ
ルシムは科学者で、ザンギエフだけゲームに忠実で、バルログがバイソンで、バイソンがベガで、
ベガがバルログで、サガットだけは名前が変更されていなかった。サガットだけかわいそうである。



9月7日


また更新があきました。愛地球博に行っておりました。お詫びといってはなんですが、愛地球博
も残すところわずかということで、各パビリオンの見所などをご紹介したいと思います。

*

・入場  ★☆☆☆☆(入らなければよかった)

愛地球博直行バスで現地に着いたが、入り口の長蛇の列を見て愕然。まさか入るだけでも並ばさ
れるとは。しかも食べ物とペットボトルを回収される。しかも、入り口の人がかなり気持ち悪い
デブだった。この職種は水分補給に困らないですね!

・もしも月がなかったら  ★★★★☆(結構いいかなって感じかもしれません)

これは僕が一番行きたかったパビリオンである。というか、行く前日までパビリオンってどうい
う意味かわからなかったのだけど、前日に見たパンフレットで第一印象がよかったのだ。待ち時
間100分とあったが実際50分ぐらいで入ることができた。地球ができたての時に、小惑星が
地球に衝突してできたのが月らしい。もしも地球に月がなかったら、映像では地球は今では考え
られないような状態だった。もしも地球にツキがなかったら、という落ちである。

・展覧車  ★★★☆☆(普通に観覧車に乗ればよかった)

見た目のインパクトが強く、思わず並んでしまった。待ち時間100分。観覧車状の形態であり、
観覧車に乗りながら、車の歴史などを垣間見ることができる。観覧車の頂上から見た地球博は、
人だらけだった。一人一人に、この万博の面白さを説明してもらいたくなった。

・リニアモーター館 ★★☆☆☆(うん、速いね)

行ったらすぐ見れるというので行ったら本当にすぐ見れた。リニアモーターの速さを体感できる
映像を12分も見せてくれるらしい。3Dのメガネもくれた。期待を胸にいっぱいにしていたが、
実際見てみると、凄い速さで走っているリニアモーターカーを12分間ずっと見せられた。速い
のはわかったから。速いのはわかったからっ!って感じ。後、3Dのメガネを渡した理由を教え
てほしかった。そのアトラクションを作れば待ち時間は3時間を越えると思う。

・ラオス館 ★★☆☆☆(あんまりお金でないのかな?ラオスから)

すぐ入れた。展示してあった写真を印刷したプリンターのヘッドを掃除した方がいいと思う。線
がいっぱい入ってたよ。

・カンボジア館  ★★★☆☆(それどころじゃないよね、カンボジア)

どうぞご覧下さい、まっせ〜。という現地の人がいる。

・大地の塔  ★★★★★(藤井フミヤが好きになりそうだった)

これも100分待ち。これははっきり言ってお勧めです。100分待ちなのに60分待たされて
少しご機嫌斜めになった僕を癒してくれました。世界一でかいアレを見ることが出来ます。ほら、
あれ何鏡やっけ?え〜と…あ、わかった、マンゲだ!(友達から拝借)

・日本館  ★☆☆☆☆(こんなだから日本は)

最後に多少並んでもいいからすごいやつが見たいということで、友達がお勧めした日本館でしめ
ることとなった。待ち時間110分だったのに、本当に110分待たされた。本当に110分待
たせやがってと怒ってやろうかとも思った。しかも中身は凄い薄っぺらかったよ。

・全体として  ☆☆☆☆☆(このはし、わたるべからず)

お勧めしません。




9月3日


僕は、人体に対してひどく臆病である。どういうことかというと、血を見るのが嫌いであり、尖
端恐怖症であり、保健体育の教科書が嫌いなのだ。

僕が始めてコンタクトを買いに行ったとき、目への健康と、経済的という理由でハードのコンタ
クトを選んだ。しかし、つけた直後目に異物が入っていると脳に危険信号が伝達され、僕の脳は
強制終了。僕は失神して、眼科さんと母親が「こんな患者さん初めてですわ〜」とクスクス笑っ
ていたという話は、南河内では楠木正成と同じぐらい有名な話である。

それなら、そういう類をできるだけ遠ざけて生きてゆけばいいというのが正論であるが、どうも
できそうにない。というのも、母は献血フリークなのだ。

母は、特に困った人を助けようとかいう思いからではなく、また献血のあとの卵と牛乳が欲しい
からではなく、ただ献血をスポーツとしてしか見ていない。今回は何分何秒で400mlを抜く
ことが出来たと言っては喜び、また苦渋の顔を見せたりする。あの人は400mlを何分何秒で
抜けたという話を聞いては、悦に入り、またあからさまな嫉妬の様相を見せる。

数年前、兄が独り暮らしを始めたときに、どこかで献血をしたらしいのだが、兄も失神してしま
ったそうだ。その気持ち、文字通り痛い程わかる。その失神した兄を向かえに行った母は、その
話を、僕が眼科で失神した話よりも恥ずべき話として、我が家族にいいふらした。「献血できな
い子に育てた覚えはない」とまで言う始末。

この前、献血カーの前をとおり過ぎた。二十歳になったからやってみようかとも思ったが、献血
カーの前には「今、O型が不足しています」との掲示。きっと、A型の母より、O型の兄の方が
世間的には大事なんだ。



9月2日


僕は8月24日で二十歳になり、大人としての自覚を持たなければならない年になったわけだ。

しかし、別に二十歳になったからと言って生活に変化は特にないし、あるとすれば、コンビニで
タバコとお酒を買えるようになったこと、あとは犯罪をおかせば顔写真が新聞に載ってしまうと
いうことぐらいであると思える。

簡単に書いたが、犯罪をすると顔写真が載るというのは大変なことではないか。最近二十歳にな
った任天堂のマリオを例にとってみよう。今までのマリオは何をしても周りから叱られるなんて
ことはなかった。しかしこれからは、もしマリオが途中に落ちているコインを集めて回れば、「
マリオ(20)道に落ちていた大金をネコババ」と朝日新聞に顔写真とともに載ってしまうであろ
うし、カメから赤い甲羅をとれば「マリオ(20)カメから赤い甲羅を強奪、そのまま逃走」と
毎日新聞に報じられ、日本中の新聞はその瞬間からファミ通と化してしまう。大人って大変。

しかし心持ちとしては二十歳になったからと言って、何も変わっていない。二十歳というのは、
世界の大人たちが、人それぞれに個人差があるにも関わらず、勝手に設けた便宜上の区切りにし
かすぎないのだ。

小学校2年生の時、遠足が潮干狩りだったのだが、バスが早く着きすぎて、潮干狩りの開園時間
よりかなり早めに着いてしまったことがあった。その時、僕はシャベルカーでおっさんが貝を砂
浜に埋めていたのを見た。それを見たときから、僕はもうすでに大人だったのかもしれない。



9月1日


8月の中旬のこと。僕はサークルに行く前に99ショップにスポーツドリンクを買いにいった。

スポーツドリンク2本買って出てくると、そこにはYAHOO!BBのあのセットがあった。あ
のセットというのは、駅前とかで昔モデムを配っていたあのセットである。なんでこんな99シ
ョップの前で勧誘をしているのかわからないのだが、たまには気分転換をということだろう。

そこで、僕はその勧誘をしている女性に話しかけられた。僕はこうしてろくでもないHPを世界
に発信しているわけであるから、勿論ADSLに加入しているので、軽くあしらう感じで話を聞
いていた。いくら二ヶ月間なにしてもただって言われようとも面倒くさいので絶対加入しないつ
もりだった。

しかし話を聞いていると、この女、できる。加入者同士は電話はただなんですよという言葉に対
し、僕がスカイプしてるから要らないですと返すと、私もそうなんですけどね、と。話をしてい
るうちに、この暑いときに女の子なのに日焼けもしている彼女が可愛そうになってきて、僕は結
局ただだしいいかという気持ちになって二ヶ月のお試し期間を試してみることにした。

そのせいで一時間サークルに遅れて登場した僕。友達に、こういうことで遅れたというと、当然
彼からはアホとの有難きお言葉。それはそうである。一時間遅れてしてきたことと言えば、一つ
インターネットにつなぐ手段があるのに、予備としてもう一回線ADSLを引く手続きをしてい
たのである。いくら地震が多発し、天気予報の的中率が下がってきているこのご時世だって、回
線はひとつでいい。だんだん、YAHOOに対して腹が立ってきた。あんな女の人の肌までも犠
牲にしてまで商品を売りつける孫に腹が立ってきた。いつか社会人になって出世したら、孫をぶ
んなぐってやる。

その二週間後、YAHOOから手紙がきた。「まことに遺憾ながら、あなたさまのお宅では当社
のサービスがご利用いただけないことがわかりました。」

いつか社会人になって出世したら、孫に珈琲の一杯でもおごってやろう。





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